日記

おれの人生はおれがやるぞ!

2385年から君へ(2008年からあなたへ)

民亭の赤いチャーハンを食べながら上を見つめている。すっかり尾花夏樹の仕草が身体に定着してしまい、全然関係ないのに仕事中も案件が片付くたびに尾花夏樹をしてしまう。残された時間は150分、バイクシーン150分でもいい。今期は異常なくらいにドラマが面白くないですか。テレビは隠カルチャーに成り下がってしまったのでしょうか。YouTubeが苦手な理由は陽キャラだって腑に落ちた今日でしたが「ご飯が炊かれ麺が茹でられる永遠」をしたかっただけなのに、ロロの過去作一気上映、ハイロウズ、青春からの自然な民亭は食べ終わったあとに気付いたのだけれど、なんて良く出来た話なんだ。仕事は相変わらずなんだけれども、少しずつ小さな限界突破ってやつを繰り返して(なんだか今週が一番成長実感を感じた、勝手に小さなことだけれども、こんな日々があと何年か続いたら、続けたら少しは胸張れるんじゃないでしょうか、あの地獄みたいな日々の僕に、全部全部あの頃の自分に大丈夫だよを昇華するだけのための人生だ)今年も残り1週間で終わりだ。年が明けたら、だらっと、ざざっとしている間に結婚がやってくる。最近、AKIRAの展示を見たり(あの椅子に座れるなんて人生最高回)劇場版AKIRAを見返したり(漫画はイエネコカメラですか?)天国大魔境最新刊をやっとの思いで読んだり、そうなると第七女子会彷徨も読み返してしまうわけで、体内SFモード全開のせいかもしれないが、結婚したら自分がふたりに分裂してしまう気がして仕方ないのですよ。結婚している俺とそれを俯瞰して見ながら別の行動・人生を歩む自分と。結婚したら突然のサイゼはなくなってしまうのでしょうか。パンにプロシュートを巻いて食べるなんて美味しさを知る夜みたいなものは少なくなってしまうのでしょうか。好きなカルチャーをぶつけ合いながら食べるアイヌ料理や新宿のプリクラみたいな夜も同様で、僕はどっちのルートも知りたいのですが傲慢なのでしょうか。学生から社会人になるときみたいな、何か自分が自分ではなくなってしまうような不安と、シャキッとする感じ。結婚を申し込んだ自分がこんなことを言うのは良くないんですけど、やっぱり、こういうときはドラえもん見るしかないんですよね。どれだけの結婚する前の男女はのび太結婚前夜に助けられているのでしょうか。いつかしずかちゃんのパパのシーンを僕もしたいのだ。とてつもなく楽しみな結婚、と、そのあとの想像もできない生活の日々。と、少しの不安がじわじわとやってきましたね。まだ自分のことなのに正直実感がない。というのも、ここがどこだかわからなくなってきたのだ。2020年になる今、ネオ東京だとか、わくわくディストピアなんて言ってるけど、あ〜もううるせぇよ、こんな時代に20代やらせやがって日本早く終われよ、みんな死んじゃえよとも同時に思ってしまうからである。明らかに終わってる世界なんだから、これ以上何も良くならないんだから、目に見える形で不安が不安として怪獣みたいに世の中に現れてくれたらいいのに、もっと見える形でグロテスクになってくれよ、現在。映画館で大勢で映画を観ていると、2019年には映画館という娯楽施設があってね。漫画という紙でできた印刷物があってね。人間には結婚という制度があってね。という気持ちになってしまう。この生活の日々がとてつもなくちっぽけなものに感じてしまうのだ。圧倒的ディストピアの前にどれだけの瞬間的幸せと長期的見えない幸せを掛け合わせても勝てない気もしてしまうのだ。100日後生きているかもわからない時代に(きっと僕らは人類が滅びる瞬間を目の当たりにするギリギリの世代だ、すでに過去の出来事なのかもしれないけれども)、余命半年だと言われた母がケロっとして生きていることも正直バグでしかないんだけれど、バグのバグのバグで幸せを幸せと手放しで喜べるような時代になってくれよ未来。頼むよ未来。途方もなく意味不明で根拠のない不安を抱えて、パソコンというアナログなガジェットから2385年の君へ。

 

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